思い残すことのない人生とは
2016年 12月 05日
姉のマンションに行って、掃除をしながらこんなことを思い出していた。
共稼ぎ時代、asanagiは叔母に子供を預けていた。
叔母は時々昔のことを思い出して話してくれるのが好きだった。
ある時、
「私は両親の最後が近くなった時、心行くまで看病してあげた。
起きたいといえば起こし、甘いものが食べたいといえばどこまでも買いに行き、すべての欲求を満たしてあげた。
私はもう何も思い残すことはない。」と言っていた。
この叔母、母のお姉さん。
小柄ではあったが、美人で、優しくて、いつもにこにこしていて、絶対に怒らない人であった。
母が5年生の時母親と死別。
当時この叔母、結婚適齢期であったが、毎夜布団の中で泣いている母を見て、結婚する気にはならなかったらしい。
その後は母親代わりとなり、姉妹が困ると手伝いに行き、人のために生きた人生であったと思う。
しかし、最後は思い残すことはないと言っていたが、その意味が今になってよくわかってきた。
姉の介護も日に日に苦痛でなくなってきた。
夏の花デイゴが青空に映えていた。
共稼ぎ時代、asanagiは叔母に子供を預けていた。
叔母は時々昔のことを思い出して話してくれるのが好きだった。
ある時、
「私は両親の最後が近くなった時、心行くまで看病してあげた。
起きたいといえば起こし、甘いものが食べたいといえばどこまでも買いに行き、すべての欲求を満たしてあげた。
私はもう何も思い残すことはない。」と言っていた。
この叔母、母のお姉さん。
小柄ではあったが、美人で、優しくて、いつもにこにこしていて、絶対に怒らない人であった。
母が5年生の時母親と死別。
当時この叔母、結婚適齢期であったが、毎夜布団の中で泣いている母を見て、結婚する気にはならなかったらしい。
その後は母親代わりとなり、姉妹が困ると手伝いに行き、人のために生きた人生であったと思う。
しかし、最後は思い残すことはないと言っていたが、その意味が今になってよくわかってきた。
姉の介護も日に日に苦痛でなくなってきた。
夏の花デイゴが青空に映えていた。
by asanagi62
| 2016-12-05 21:15
| 老い