mather′s dayー母に感謝と尊敬をー

また今年も母を思い出す日がやって来た。

今年はこんなことを思い出している。

asanagiが22歳の頃であった。
就職試験の面接で、
「あなたの尊敬する人を一人あげてください。」という質問に対して、
「小学校の時の校長先生です。」と答えたら、
「あなたは両親を尊敬してないのですか。」と、すかさず質問がきた。asanagiは
「両親は、尊敬というより感謝の気持ちが強いです。」と答えた。
asanagiは自信満々であったが、面接官は怪訝な顔をしていて、後味の悪い思いをしたのを覚えている。

あれから、約半世紀、今でも時々感謝は間違っていたのか。尊敬でなくてはいけないのか。密かに自問自答するときがある。
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asanagi22歳までの母は苦労の連続。
時には母、時には父親代わりになって、身を粉にして働いた人である。
余りにも壮絶な生き方をみて、とにかく大きくなったら働いてきちんとした家庭を持ちたいと思っていた。
壮絶な生き方は戦争の為であったと自覚するまでは、家庭内のゴタゴタを両親の制にすることもあった。
尊敬というより、両親を反面教師にしようとさえ思っていた。
安定した職業も持たないまま5人の子育てに疲れ果てている姿はそこから尊敬の言葉は見つけられなかった。
しかし、ありがとうという気持ちは全身で受け止めていた。

子育てが終わり、自分の人生も終わろうとしている今になって考えてみると、感謝だけでかたずけられないなと思う。
尊敬に値する人であったとしみじみ思う。
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母の子育ての原体験は神戸の生活にあったのだろうか。
田舎の公務員だった父は、結婚後、それを捨て家族とともに神戸へ移った。
そこで、外国航路の船員として働き始めたのである。
戦前の外国航路の船員は金銭的に恵まれ、母と姉はよく神戸のデパートで、高級な洋服やおもちゃなどを買ってもらって、それはそれは豊かに暮らしていたらしい。
時々近くの薬大の女生徒が素敵な帽子つきの制服を身にまとって歩いていると、父は
「いつか女の子ならあの薬大に入れて薬剤師、男の子ならエンジニア―にするんだ。」と夢いっぱいに語っていたそうである。

母はそれをずっと覚えていて、時々話してくれていた。

しかし、その夢は戦争という悪夢に無残にも打ち消されてしまった。
戦後のどさくさの中、女手一つの子育てには想像を絶する苦労はつきものであったようである。

しかし、苦難に屈することなく、父の言葉どうり、4人の女の子は公務員、下の男の子はエンジニア―に育て上げたのはお見事としか言いようがあるまい。
子どもはみんな生活は安定しているし、それなりの地位も得ている。
誰一人として、人様にご迷惑をかけるような生き方をしている子はいない。
苦労はしたが、子育て一筋に生きた人であった。

晩年は、よれよれになって、腰も曲がって、ルックスはどこから見ても素敵なおばあちゃんではなかった。
しかし、今の自分と比較してみると、まぎれもなく母は偉大で尊敬に値する人だったなあと思う。
顔のしわや曲がった腰からは何とも言えない威厳のようなものも感じられた。

今生きていたら
「お母さんのようにすごい人いないね。意志が強いし、へこたれないし、自分の事より、家族の事ばかり考えていたし、やはり頭が上がりませんね。」と言ってあげたい。
多分あの笑顔で、にんまりとしていることだろう。
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by asanagi62 | 2016-05-08 11:44 | 家族 | Comments(0)

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